ハイニッカの概要
ハイニッカはニッカウイスキーが製造するブレンデッドウイスキーです。
ハイニッカはアルコール度数39度に調整されていいます。
そのためアルコール度数40度以上と定められている世界基準でのウイスキー定義からは外れてしまいます。
しかし、日本の酒税法におけるウイスキーの定義では樽での熟成年数やアルコール度数の規定がありません。
ですからこのようにアルコールが40度以下のスピリッツでも堂々とウイスキーと名乗れるわけです。
ちなみにニッカにおいては「ブラックニッカ クリア」も37度で販売していますね。
ブランド名であるハイニッカの「ハイ」はオーディオ用語の「Hi-Fi」(ハイファイ)に由来します。
Hi-Fiとは「原音や原画に忠実な再現」という意味で、音楽メディアを再生する際に発生するノイズが最小限に抑えられている…つまり再現性の高いクリアなサウンドを指す用語です。
つまりこの表現をそのままウイスキーの風味に当て込んだものでした。
「高品質なものをカジュアルに提供する」というニッカウイスキーの創業者、竹鶴氏の熱い想いが込められたブランド名です。
1960年代の発売当時、500円という低価格で発売されたで大人気の二級ウイスキーでした。
またハイニッカは、竹鶴氏が晩年にこよなく愛したウイスキーだったといいます。飲み方は、水割りが好みだったとのこと。
ウイスキーに人生を注いだ竹鶴氏が行き着いたのは高級なシングルモルトではなく、庶民的な二級ウイスキーだったというのがまた面白い話です。
値段に惑わされず、飲み方にも決まりはない。
竹鶴氏は自由にウイスキーを楽しみ、人生をかけて愛したのでしょう。
ハイニッカの歴史を感じるデザインは発売から50年以上経った今もそのイメージを変えず販売され続けています。
ハイニッカの発祥と製造場所の紹介
戦後、日本の二級ウイスキーといえば、モルト原酒を一切使わず、エッセンスなどで香りを付け・カラメルで着色したイミテーションウイスキーが主流でした。
残念ながら本物のウイスキーは庶民の口に殆ど届いておらず、届いたとしても粗悪な二級ウイスキーに慣れ親しんだ舌には合わないものだと考えられていました。
また本物のウイスキーは長い年月をかけて樽熟成するため、他の酒に比べて製造に圧倒的な手間と時間を要します。
おまけに量産しづらく、どうしても高価格帯となってしまうわけです。
これらの要因が日本にウイスキーを浸透させる妨げとなっていました。
その後、酒税が改訂され、原酒が5%未満、つまりは0パーセントでも三級ウイスキーを名乗れるようになりウイスキーは日本中で飲まれるようになりました。
そんな中、スコットランドに渡り、本物のウイスキーに触れ、学習してきた竹鶴氏は、できる限り本場の味わいに近づけるよう努め妥協せずウイスキーづくりに向き合いました。
結果、庶民の手を伸ばしやすいギリギリにまで味わいとコストを調整したウイスキー「ハイニッカ」が1964年に誕生しました。
モルト原酒を当時の二級ウイスキーの上限ギリギリまで使い、それでいて「500円」という低価格で売り出されたハイニッカは、そのコストパフォーマンスの高さから、「ハイブーム」現象を引き起こすまでとなりました。
ハイニッカの歴史と製法の変化
ハイニッカは1964年に販売開始。
販売当時のハイニッカは、宮城峡で作られたカフェグレーンとモルト原酒をブレンドしたものに多量のスピリッツ(ブレンド用アルコール)を混入していました。
原酒混和率が13%に定められていた二級ウイスキーであるため、ブレンド用アルコールで全体を薄め原酒の比率を調整していたのです。
規定のギリギリの原酒混和率で500円という低価格を実現したハイニッカは、一般層に受け入れられ一気に世に広まりました。
この事実を受けてライバル会社のサントリーは赤札を「サントリーレッド」に改称し、同価格帯の対抗馬として復活させたほどでした。
1978年10月1日、酒税法改正で二級ウイスキーの原酒混和率が13%から17%に引き上げられます。
これをチャンスと見たニッカウイスキーはモルトの比率を増量した「ハイニッカデラックス」に改称、リリースします。
ラベルデザインも白から黒に変更し、同時にラベルに書かれていた「HiHi」も、商品名同様の「Hi」に変更されました。
このとき俳優の草刈正雄を起用したCMも話題となり、更なる注目を集めます。
1984年8月、ラベルが現在のもと同じになり、薄橙と赤のボトルデザインとなります。
1986年2月、ブレンドにスピリッツを一切使用せず、モルトとカフェグレーンのみのブレンドとした「ニューブレンドハイニッカ」を発売します。
こちらは横展開商品だったため等級およびアルコール度数はそのままリリースされました。ちなみにこちらの商品は3年後の1989年3月を以って販売終了となります。
1989年4月1日、酒税法改正によりウイスキーの等級制度が廃止となります。
これを受け既存の「ハイニッカデラックス」はラベルの意匠はそのままにブレンドが大幅に変更され、モルト原酒と宮城峡のカフェグレーンのみを使って製造されるようになりました。
2015年2月24日には数量限定で1964年に発売された当初のハイニッカ(HiHiニッカ)の風味を再現して造られた「初号ハイニッカ復刻版」が販売されました。
昭和のハイブームを経験されたお父さん達は喜んだでしょうね!
同年9月1日にラベルデザインをリニューアルし、同時に商品名をハイニッカデラックスから「ハイニッカ」へと改称。
初号時代に近いデザインに変更され、横1本の赤ラインが斜めに変更されました。
また、ラインアップも見直されて720ml瓶のみになりました。味のブレンド自体は変更はないようです。
ハイニッカのラインナップ
ハイニッカ
現在販売されている唯一のオフィシャルボトル。
1964年当時では500円という低価格で販売され、現在でも1,000円程度で購入できる晩酌にぴったりのボトルです。
香りはカカオや風邪薬のシロップを思わせる甘めのアロマ。
ライトで飲みやすい口当たりで、味わいはコーヒーチョコ、ココア、古ぼけたオーク家具の余韻。
竹鶴氏が晩年愛したウイスキーだけあって価格の割によくできた味わいのボトルです。
ニッカウヰスキーの低価格ラインはブラックニッカクリアやスーパーニッカが主流となり、あまり量販店では見かけません。
しかしこのコストパフォーマンスの高さはウイスキー好きであれば是非一度味わって頂きたいものです。
ハイニッカ 初号ハイニッカ復刻版
2015年の2月にリリースされた初代ハイニッカの復刻版。いわゆるリメイクボトルです。
1964年当時、2級ウイスキーは酒税法からモルト原酒の混和率が10%未満に抑えるよう定められていました。
後はグレーン原酒と多量のスピリッツを混入し、調整していました。
しかしこちらのラベルには原材料がモルト・グレーンと記されていることからスピリッツを使用せず、代わりにグレーンのニューポットが使用されていると考えられます。
味わいもアルコールの刺激が非常に強く、現行のハイニッカと比べるとオークの樽香もあまり感じられません。
わずかにカラメルやナッツのフレーバーを感じますが風味に奥行きがありません。
昔のウイスキーってこんな感じだったんだなぁ…とノスタルジックに想い馳せながら飲むと気持ちの整理がつくかもしれません。
ハイニッカのおすすめの飲み方
ザ・庶民の味方。それがハイニッカ。
発売した1964年は「500円ウイスキー戦争」と呼ばれ、ニッカやサントリー、三楽オーシャンなどがこぞってこの価格帯のウイスキーを発売した年でもありました。
1967年に発売された「大瓶ハイニッカ」はなんと1,600ml入って1,000円という破格でした。(このあと1,920mlのジャグスタイルボトルが出る。1,380円なり。)
こうやって庶民が嗜むウイスキーはどんどん巨大化し、現在の安価な大型ボトルの礎を築いたと言えます。
マイルドで線の細いウイスキーですが、和食と合わせて食事中に飲んでも良いと思います。
おすすめの飲み方はまず水割りかハイボール。
当時の方々もハイボールで飲んでいましたし、「ライトな口当たりでグビグビ飲む」というお酒です。
一時期マッサンブームが来た際はハイニッカも大々的に店頭で売り出され、すぐにリニューアルモデルをリリース。
再度、控えめにですがお茶の間に溶け込んだように見えました。
派手さはなく控えめな味、そして控えめな価格、その佇まいさえも控えめなハイニッカ。
なんとなくですが、日本人の性質に似ているようにも思えます。
「ひとりでも多くの人をウイスキーで幸せにしたい」と願った竹鶴氏の想いは、発売50年以上経過したハイニッカが背負ってくれています。