U2、ザ・ローリング・ストーンズ、メタリカ——
アイルランドが誇るロック聖地スレーン城に隣接するスレーン蒸溜所の蒸溜釜が、静かに冷えていきます。
ブラウンフォーマンは5月7日付でスレーン・アイリッシュ・ウイスキー蒸溜所の生産を停止したことを明らかにしました。公式声明では「需要計画と生産予測に基づく一時的な調整」としていますが、生産責任者のアラン・バックリー氏がLinkedInに「今後数年間にわたる停止により、私の役職は残念ながら廃止となります」と投稿しており、実質的な長期休眠に入った可能性が高い状況です。

ロックの殿堂が生んだ、5000万ドルの新蒸溜所

スレーン城はアイルランド・ミース州、ダブリンから北へ約50キロに位置する18世紀の名城です。
コニンガム侯爵家が300年以上にわたって居を構えるこの城を、ロック史に刻んだのが1981年から始まったコンサートシリーズでした。
初回のヘッドライナーはシン・リジィ。前座のひとつがU2で、以来この城はデヴィッド・ボウイ、ボブ・ディラン、クイーン、ブルース・スプリングスティーン、マドンナ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、オアシス、メタリカらが立った「ロックの聖地」として世界に知られることになります。U2はここで1984年のアルバム『アンフォゲッタブル・ファイア』の一部を録音してもいます。

ウイスキーとの縁も古く、城主ヘンリー・コニンガム侯爵と息子アレックスが2009年にスレーン・キャッスル・アイリッシュ・ウイスキーを立ち上げました。当初はクーリー蒸溜所に委託生産していましたが、2012年にクーリーがビーム社に買収されたことで供給が途絶。自社蒸溜所建設に踏み切る決断をします。
そこに手を挙げたのがブラウンフォーマンでした。2015年にブランドを買収し、約5000万ドル(約75億円)を投じて18世紀の馬厩舎を改装した最新鋭の蒸溜所を建設。2017年に操業を開始しました。年間最大100万リットルの生産能力を持ち、ボイン川の水を使ったトリプル蒸溜、バージン樽・シーズンド樽・シェリー樽の3種熟成による「トリプルカスク」ブレンドが看板商品です。
グレングラッサに続く、今年2件目の蒸溜所停止

BARRELでもお伝えしてきた通り、ブラウンフォーマンは2025年1月にスコットランドのグレングラッサ蒸溜所の生産を停止し、ベンリアックとの「共同生産モデル」への移行を発表していました。同社はさらに全従業員の約12%削減、ルイビルの樽製造工場閉鎖と、構造改革を矢継ぎ早に打ち出してきた経緯があります。
今回のスレーン停止は、ジャックダニエルというアメリカン・テネシーウイスキーの巨人を擁しながらも、スコッチとアイリッシュという両輪での国際展開に苦しむブラウンフォーマンの現実を改めて示すものです。
背景にはアイリッシュウイスキー市場全体の冷え込みがあります。アイルランド食品ボード(ボルド・ビア)のデータによると、アイリッシュウイスキーの輸出額は2025年に前年比5%減の9億3000万ユーロ(約1550億円)に落ち込んでおり、特に最大市場である米国での落込みが顕著です。
「在庫は十分」——だが、問われるブランドの将来
ブラウンフォーマンは「熟成中のウイスキーは十分な在庫があり、世界中の顧客へのスレーンの供給に影響はない」と強調しています。
ビジターセンターの営業とVIP・業界向けツアーも継続するとのことです。
ただし再稼働の時期は「需要計画と予測次第」とするのみで、具体的なスケジュールは示されていません。
現場責任者が「今後数年間」と明言した以上、少なくとも短期での復活は期待薄でしょう。
4月にBARRELでお伝えしたブラウンフォーマンを巡るM&A交渉の行方も、このスレーンの帰趨に影響を与える可能性があります。新たなオーナーのもとで再稼働するのか、それとも長期休眠が続くのか——ロックと歴史が共存するあの美しい城の馬厩舎で、しばらく蒸溜の音は鳴り止みます。










