2025年10月、スコッチ・ウイスキー界の重鎮たちがエディンバラのスコッチ・ウイスキー・エクスペリエンスに再集結しました。
これは、新世紀の始まりにレイモンド・デヴィッドソン氏によって生み出された「グレンケアン・グラス」の25周年を祝う晩餐会です。
ウイスキーの香りと味わいを最大限に引き出すために開発されたこのグラスは、2001年のウイスキー・ライブ・ロンドンでの公式発表以来、世界のウイスキーイベントで欠かせない存在となっています。
以下写真引用©theglencairnglass
グラス開発の立役者たちが再会

ホストのデヴィッドソン氏の周りには、グラスの開発初期に意見を求めた3人のマスターブレンダーが集いました。
デイビッド・スチュワートMBE(バルヴェニー、元グレンフィディック、グランツ)
リチャード・パターソンOBE(ダルモア、ジュラ、フェッターケアン、ホワイト&マッカイ)
ジョン・ラムゼイ(元フェイマス・グラウス、グレンロセス、ハイランド・パーク)
当初からの協力者であったロバート・ヒックス氏(元アライド・ディスティラーズ、現ペルノ・リカール)は残念ながら欠席となりました。
また、長年にわたりグラスを支持してきたウイスキーライターのチャールズ・マクリーンMBEや、『ウイスキー・マガジン』編集者アット・ラージのクリストファー・コーツ氏も出席しました。彼らは、1990年代後半に適切な「公式ウイスキーグラス」の必要性を提唱し、グレンケアン・グラスの初期の支持者であった故マイケル・ジェームス・ジャクソン氏の存在を共有しました。
ウイスキーテイスティングの標準へ

グレンケアン・グラスの登場以前は、ウイスキーのテイスティングにはタンブラー、シェリーのコピータ、またはパリ・ゴブレットなどが一般的に使われていましたが、いずれもウイスキー本来の評価に適しているとは見なされていませんでした。
デヴィッドソン氏は、「グレンケアン・グラスのコンセプトを最初にスケッチしたとき、ウイスキーの最良の部分を真に引き出すものを作りたいと考えました」と述べ、マスターブレンダーや業界の友人からのインプットの重要性を強調しました。
このグラスは、当初「ブレンダーズ・モルト・グラス」という小さなサイズで構想され、国際スピリッツ・チャレンジの審査会などで業界専門家に紹介されました。ブレンダーやジャーナリストからのフィードバックを受けて、世界中で使用されている現在の最終デザインが誕生しました。デヴィッドソン氏は、シングルモルトの隆盛やウイスキーフェスティバルの成功と、グラスの成功が深く結びついていると語ります。
世界を席巻したグラスの道のり

デヴィッドソン氏は、初期のグラスのコンセプトに権威を与えたブレンダーたちの評判に感謝の意を伝えました。パターソン氏も、このグラスがシングルモルトへの関心の高まりや、ウイスキーメーカーがブレンディングルームから出てアンバサダー活動を始めたタイミングと完璧に一致していたと述べています。
パターソン氏は、グレンケアン・グラスがウイスキーメーカーがその一杯を「あるべき姿」で世界に提示することを可能にしたと評価しています。
デヴィッドソン氏は、2001年のウイスキー・ライブ・ロンドンでの発売時に、手吹きのサンプルを用意したものの、業界からの熱意に後押しされ、「25万個か50万個か、正確には覚えていないが、最初の大量生産に踏み切った」と回想しました。
この時、ある一社が最初の全生産分を引き取りたいという大きな誘惑があったそうですが、それを断ったことで、グレンケアン・グラスは「彼らのグラス」ではなく、「すべてのウイスキー、すべてのウイスキー愛好家のためのグラス」という夢を実現することができました。これまでに5,000万個以上のグレンケアン・グラスが世界中で販売されています。
受賞歴と会社の展望

グレンケアン・グラスは、その貢献に対してクイーンズ・アワード・フォー・イノベーション(2006年)やクイーンズ・アワード・フォー・インターナショナル・トレード(2012年、2017年)など、多くの権威ある賞を受賞しています。
レイモンド・デヴィッドソン氏が40年以上前にウイスキーデキャンタを製造する家族経営の会社として設立したグレンケアン・クリスタルは、現在では息子のポール氏とスコット氏が経営を担っています。
このグラスの25周年は、ウイスキーテイスティングの文化に確かな足跡を残したグレンケアン・グラスと、それを支えた業界のパイオニアたちを称える節目となりました。










