1878年、アメリカで最初の商用電話交換局が開設され、トーマス・エジソンが蓄音機(フォノグラフ)の特許を取得した年。
その同じ年、一隻の船がライ麦を積んだまま、静かに湖の底へと沈んでいきました。
そのライ麦が140年以上の時を経て、ウイスキーとして蘇るという、壮大なプロジェクトが米国ミシガン州で進行中です。
湖底に眠る19世紀のタイムカプセル

物語の舞台は、アメリカ五大湖の一つ、ヒューロン湖。1878年11月、ジェームス・R・ベントレー号という名の木造スクーナー船が、嵐の中で砂州に乗り上げ沈没しました。
船には、当時ミシガン州などで栽培されていた「ローゼン・ライ」という品種のライ麦が、約37,000ブッシェル(約1,300トン)積まれていました。
このローゼン・ライは、その後の品種改良や交配の波の中で、地上からは姿を消してしまった「幻の品種」です。
ミシガン州のクラフト蒸溜所「マンモス・ディスティリング」の創業者、チャド・マンガー氏は、この湖底のタイムカプセルに注目しました。
法的な奇跡と科学の力

通常、五大湖の沈没船は州の所有物とされ、積荷を自由に引き上げることはできません。
しかし、このベントレー号は特殊な法廷闘争の末、ダイバーのポール・イーホーン氏が個人所有権を勝ち取るという、極めて稀なケースとなっていました。この法的な奇跡が、プロジェクトへの扉を開いたのです。
マンガー氏はイーホーン氏の許可を得て、特殊な抽出チューブを使い、湖底の船からライ麦のサンプルを採取。ミシガン州立大学で小麦の育種と遺伝学を専門とするエリック・オルソン博士に分析を依頼しました。
驚くべきことに、冷たい湖の底で無酸素状態に近く保たれていたライ麦のDNAは、完璧な状態でした。オルソン博士は「穀物の品質は保たれていた。まるで1800年代後半の当時そのままのようだった」と語ります。現在、マンモス・ディスティリングと大学は、この19世紀のDNAから、幻のローゼン・ライを現代に復活させる取り組みを進めています。
ライウイスキーの歴史を再び紡ぐ
マンガー氏によると、禁酒法以前、アメリカンウイスキーの主流はライウイスキーであり、150年前のミシガン州は北米最大のライ麦栽培の中心地でした。このプロジェクトは、単に珍しいウイスキーを造るだけでなく、「かつてミシガンの農業経済を支えながらも、今は眠ってしまった分野を再活性化させたい」という、地域再生への想いも込められています。
復活させたライ麦を栽培し、収穫し、ウイスキーとして蒸留・熟成させるには、まだ長い時間が必要です。
マンモス・ディスティリングは、この「ベントレー・ライ」を使った商業的なウイスキーが市場に出るまでには、およそ3年から4年かかると見ています。
140年以上の時を超え、湖の底から現代へと蘇る幻の穀物。ウイスキーとしてグラスに注がれる日を、心待ちにしたいですね。