ウイスキー愛好家にとって、それは悪夢のような光景かもしれません。
ある日突然、酒店の棚からお気に入りのバーボンやアメリカンウイスキーがごっそりと姿を消す──。
今、太平洋の向こう側、カナダでまさにその事態が起きています。
米国とカナダ間の貿易紛争が激化し、カナダ国内での米国産スピリッツの売上が、2025年3月から4月にかけて実に66.3%も激減するという衝撃的な結果が報告されました。
関税より深刻な「棚からの撤去」という一手

この問題の発端は、米トランプ政権がカナダ製品に課した25%の関税にあります。
これに対し、カナダは報復措置として米国製品に関税をかけるだけでなく、さらに踏み込んだ一手を取りました。
オンタリオ州やケベック州などの主要な州営酒販店が、米国産スピリッツの新規購入を停止し、既存の製品を物理的に棚から撤去するという強硬策に打って出たのです。これは、単に価格が上がるだけの関税よりもはるかに深刻な事象です。
ジャックダニエルを擁するブラウンフォーマン社のCEOが「関税よりも悪い」と語るように、この措置は製品が消費者の目に触れる機会そのものを完全に奪い、販売チャネルを物理的に閉鎖してしまいます。
売上は事実上ゼロとなり、ブランドイメージにも長期的なダメージを与えかねません。
誰も勝たない貿易戦争

この措置がもたらした影響は壊滅的で、カナダ最大の市場であるオンタリオ州では、米国産スピリッツの売上が80%も激減しました。
しかし、これは米国だけの問題ではありません。
この影響はカナダ市場全体に波及し、スピリッツ総売上は12.8%も減少。
米国産の穴を埋めるはずだったカナダ産スピリッツの売上も6.3%減少し、その他の輸入スピリッツも8.2%落ち込むという、まさに「誰も勝たない」結果を招きました。棚から消えた人気商品を、他の商品が完全には代替できなかったのです。
国境を越えた業界の叫び

この異常事態に、国境を挟んだ両国のスピリッツ業界は、一致して危機感を募らせています。
カナダの業界団体「スピリッツ・カナダ」のカル・ブリッカーCEOは、「北米のスピリッツセクターは高度に相互接続されており、米国産製品の棚からの撤去は、国境の両側の生産者にとって深刻な問題だ」と述べ、オープンな貿易関係の重要性を訴えます。
米国の「蒸留酒評議会(DISCUS)」のクリス・スワンガーCEOもまた、「カナダの各州が米国産スピリッツを棚から撤去するという決定は、米国の蒸留業者を傷つけているだけでなく、州の歳入を不必要に減らし、カナダの消費者やホスピタリティビジネスにも損害を与えている」と、即時の販売再開を強く求めています。
対岸の火事ではない、世界に広がる貿易の影

この問題は、北米だけに留まりません。
かつて米国は、欧州との貿易紛失でスコッチウイスキーに25%の関税をかけ、英国のウイスキー業界に甚大な被害をもたらしました。
そして今また、2025年8月1日から欧州製品に30%の関税を課すという脅威がちらついており、特にアイルランドウイスキー業界などが強い懸念を示しています。
政治的な対立の道具として、ウイスキーのような「産地を動かせない」特徴的な製品が標的にされる。
その結果、生産者、流通業者、そして最終的には我々消費者が、選択の自由を奪われ、経済的な打撃を受ける。
ウイスキー愛好家として、そして一人の消費者として、この世界的な貿易紛の行方を注視していく必要があります。
業界団体が目指す「ゼロ・フォー・ゼロ(相互関税ゼロ)」の安定した貿易環境が、一日も早く戻ることを願わずにはいられません。