イチローズモルト肥土伊知郎氏の原点に迫る【第1回/全3回】

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はじめに

今回のつくり手インタビューは株式会社ベンチャーウイスキーの創業者である肥土伊知郎(あくといちろう)氏。

ウイスキーを少しでも知っている人であれば、誰もが聞いたことのあるその名前。
この記事では肥土氏の生い立ちやブレンダーになられるまでのストーリーを通じて、イチローズモルトのウイスキーづくりの魅力を紐解いていきます。

肥土 伊知郎

 1988年にサントリー入社後、父の酒造メーカーに転職。経営難から会社が人手に渡るも、原酒を引き取り2004年にベンチャーウイスキー設立。イチローズモルトを2005年に発売し、軽井沢やスコットランドで技術習得後、2008年から秩父蒸溜所でウイスキー造りを開始する。ワールドウイスキーアワードやウイスキーアドボケートアワードなど数多くの受賞歴があり、2019年にはISCでマスターブレンダー賞受賞。

肥土 伊知郎についてもっと知る

1.ウイスキーと原料の関係性とは

ーー本日はインタビューにご協力いただきありがとうございます。まずは、生い立ち「いかにして世界的ブレンダーになったのか」といったところで幼少期のお話から伺ってもよろしいでしょうか。

肥土氏

そうですね。もともと家が江戸時代から続く酒蔵でしたから、幼少期から酒づくりというのがやっぱり身近にありましたね。本当にちっちゃい頃は蔵の中で蔵人と遊んでいました。

好物はですね、「ひねり餅」というものでした。蔵人/杜氏さんが、蒸したお米を固めて掌で蒸し具合を確認するという作業を行うんですね。要は小さなおにぎりみたいなものをつくってそれを掌でつぶすみたいな作業です。

肥土氏

これは一旦つぶしちゃうと酒づくりには使いませんから、それをストーブで焼いて、焼きおにぎりみたいなおせんべいみたいなものをつくってもらって、それに醤油をぬって食べていました。

それがわたしにとっての「最高のおやつだったんですよね。そんな感じで「酒づくりというのがなんとなく身近にあって、それが当たり前の風景だった」。そんな幼少期でしたかね。

のめりこんだ趣味

ーーちなみに、どんなお子さんだったのか、ご自身の性格がわかるようなエピソードはございますか?

肥土氏

自分がどんな子どもだったか、っていうのを今振り返ってみると「のめりこみやすい」タイプでしたね。特に小学校の時。だいたいおもしろいなって興味をもつとそこから結構のめりこむタイプなんですよ。

例えば、小さいときにお小遣いで「ブラックジャック」っていう漫画本を買って、それで「医学」とか「人間の不思議さ」みたいなものがすごいおもしろいなと思ったんですね。

そうすると「将来お医者さんになりたいな」という夢をもって、医学に関する本を読みまくった時もありました。

肥土氏の幼少期

肥土氏

これは小学校3年生くらいの時。
デパートに連れて行ってもらった時にマジックコーナーみたいなところがあって、そこで実演販売をやってるわけです。カードのマジックとか、ハンカチのマジックとか。

そういうのを見て「あ、将来マジシャンになりたい」と思って。そこから、すごい手品に凝るみたいな、そんな時もありました。だいたい2年くらい集中的に興味をもって凝る・趣味になるってことが多かったかな。

ーー未だに手品の技って残ってるんですか?

肥土氏

いや、もうだいぶ腕が落ちましたね。まあ、やれと言われれば…でも今は恥ずかしいからあまりやらないな(笑)

ーーそうなんですね。機会があれば拝見したかったです(笑)
ちなみに小学校高学年のころはどんなものにのめりこんだのでしょうか?

肥土氏

小学校5年になると物理科学部というところに所属しました。なぜ物理科学部に所属したかっていうと、ふとしたところからラジオの組立キットみたいなのを買ったのがきっかけですかね。

そのキットで、トランジスタとか抵抗とか基盤にくっつけてはんだごてで固定していくみたいな作業がすごくおもしろくって。

しかも自分がつくったもので、実際にラジオが聞ける。「あ、これはおもしろいな」ってことで、当時よく秋葉原に電子部品を買いにいったりしていましたね。

あとは当時きわめて珍しかったんですけれども、アマチュア無線の資格をとって、いろんな方たち、なかには海外の人たちと無線で交信するなんていうのを趣味にしていた時期もありました。

肥土さんの小学生時代

ーー中高生時代のお話もお聞きしたいです。

肥土氏

中学生の時には、クラスの大半は人気の「金八先生」を見てたんですけれども、その裏番組のプロレスを見ている少数派のグループのひとりでした。

今だったら怒られるかもしれないですけれど、休み時間にはプロレスの技の掛け合いをしていました。そんな中学生でしたね。

高校はこれといった趣味が、あんまり無かったような気がするなあ。いろいろスポーツやったりもしましたが。

あ、そうだ、カメラ!写真も趣味だったし釣りも趣味でした。随分多趣味でしたね。
カメラが趣味だったんですけど、途中から「ものを撮ること」が趣味というよりも、「フィルムの現像」とか「写真の引き伸ばし」とか、そっちのほうがおもしろくなっちゃいまして。割とそういうマニアックなところが好きだったのかもしれませんね。

ーー醸造学を専攻されていた大学時代はどうでしたか?

肥土氏

大学の時は、割とのめりこんでいたスポーツがありました。これがウインドサーフィンだったんですよ。始めた動機は非常に不純だったんですけれども、なんかモテそうだなと思ったんですよね。(笑)

肥土さんとウィンドサーフィン部の部員の方々

肥土氏

ところが、実際に入ってみると、いわゆる華やかなサーフィンというイメージとは大違いで、ヨットの一番下のクラス・一番小型のクラスなんですよ。

なので、朝海に出るとお昼のときまで戻ってこないで、ずっと洋上で練習してるみたいな感じで。昼に戻ってきてお昼ご飯食べたらまた海に出て、夕方まで帰ってこない。

そんな感じじゃ女の子と出会うチャンスもなく、全然モテない(笑)そんなスポーツでしたね。
ですが、その分4年間一生懸命やってましたので、それはそれで凄くいい経験だったと思います。

 

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